子供に弁当を作らないって悪い?親の負担を考えてみる

弁当って作らなくちゃいけないものだろうか。
最近良く見るのが弁当は愛情を示すために大切なものという考え。家族に対してのまごころが弁当への手間で表されるのだと思うけれど、それって本当のまごころ?
ちょっと疑問に思ったので考えてみることにしました。
朝の負担
弁当って単純に作る人の労力がすごくないですか?みんなより朝早く起きる。これだけで毎回ストレスが溜まると思うんです。それが作るものによっては1時間以上早く起きている場合もあるなんて。すごすぎる。
ずっと世のお母さんみんながやってきたことだから、それが普通になっているんだと思います。作らないのは悪いと。でも現代の働き方に合わせて負担を家族で分担するほうが絶対公平で良いはずです。
冷凍食品は手抜き?
うちの母親は冷凍食品をよく使っていました。基本は冷凍食品の揚げ物や煮物。そのためいわゆる「茶色系の弁当」です。確かに見た目は地味ですが、入っているものは美味しいので私は嬉しかったです。むしろ、母親がちゃんと作らないで楽してくれていると感じ安心したくらいです。
現代の子供たちだってそういった親の苦労がわからないとは思えないんですよね。もしわからないのであれば子供の頃からちゃんと教えてあげるようにするべきだと思います。
栄養が不安?
栄養面で言えば手作りだからといって栄養バランスがいいなんてこともないですからね。忙しくてあるものをしょうがなく詰め込んだ弁当より、業者の弁当や学食を利用するほうがはるかに健康的なくらい。そもそも昼一食くらいで気にしすぎではとも思いますが。
たま〜に気が向いたら手の込んだものを作ってあげれば、そっちのほうがよっぽどインパクトがあって「ありがたい愛情」だって感じるんじゃないでしょうか。
「作らない」でもいいと思う
専業で家事をする人ばかりではなくなってきているわけですから、みんながみんな弁当を作る余裕なんてあるわけないと思います。
私が今後親になった時、私はきっと弁当を毎日作れないでしょう。だって仕事と別に毎朝早く起きたりメニューを考えるのつらいもの。そのつらさからくる「毎日こんなに苦労して弁当を作っている」という無言のプレッシャーを子供に与えたくもありません。なので可能な限り楽そうにできる手段を選びたいですね。
忙しかったり不公平に感じるのであれば無理に作る必要はないと思います。世の中の「弁当を作らないのは悪い」「弁当を作ってもらえないのは不幸」みたいな風潮は早くなくなってほしいなと思う次第です。